ブラスバンド

記事を見ればわかると思いますが、私は高校時代ブラスバンドでした。

木管楽器も入るので、吹奏楽部 (Wind) が正しい様です。

 

最近分かったのですが、フィンランド

ブラスバンドが盛んな処の様です。

文字通り金管だけで、少し古いのですがCDも出ており、

図書館で借りて来ては聴き入り、幸せに浸っています。

 

甲子園の試合を録画で何度も見ていますが、

母校の吹奏楽部も、中々のものですね。

曲目は最近の曲(当たり前か)、軽快で

都会的な曲が多く、隔世の感を覚えます。

甲子園

2022年8月13日(土)

第一試合で佐賀の有田工との対戦となりました。

 

私は大阪に前泊し、試合を見に行くことにしました。

無事試合開始となります様に!

 

(8月15日追記)

初戦、5対3で勝ちましたね。

51年前は春、夏ともに1点差で届かなかったので、

私にとっては母校応援での甲子園初勝利でした。

 

コロナで影響受けたチーム同士でしたが、

試合終了時審判から「コロナの中で耐え抜いて、

試合をすることが出来、奇跡の試合だった」

との言葉が選手にあった様です。

審判もなかなかやりますね。 素晴らしい!

 

(8月19日追記)

16日下関国際に3対9で敗れましたが、

ホームラン以降は勝ち試合の雰囲気で、

選手に笑顔もあって良かったです。

 

梨田、清水、和田という現在も野球界で

活躍する卒業生の応援映像もありました。

 

今日8月19日浜高は二学期始業式の様です。

特に三年生は本当にコロナに翻弄されました。

お疲れ様、ありがとうと言いたいです。

 

(後日追記)

アルプス席の写真は大会側(浜高)からの要請があり、

ここには掲示出来ないのですが、13日は快晴、

テレビでご覧になった様に、浜高は白を基調とし、

対する有田工業は赤が基調で、紅白対抗戦。

有田工業ブラスバンドのシンバルは、まるで

銅鑼の様に響かせ、らしさがありました。

浜高ブラスバンドも女子生徒が多いこともあり、

綺麗な音でなかなか良かったです。

直前の県大会で金賞を取った様です。

 

野球の応援

久し振りに高校野球の試合を観ました。

県の準準決勝で、何と11対10で勝ちました。

二転三転の試合で、パソコン画面にくぎ付けになりました。

 

ネットだと特に、周辺の記事や情報、高校のHPまで

読んだりして、試合は3時間だったのですが、4時間位

パソコンの画面を見続けたせいか、目がショボショボです。

次もネット観戦なので、目の為には時々目を休ませ様と

思っていますが...

 

コロナのせいか応援スタンドには人が少なく、

野球部員が大太鼓をたたいていました。

(攻撃時の小太鼓はブラス有志かも)

応援団もブラスも姿は見えなかったですね。

(追記:準決、決勝にはブラスいましたね。

声を出しての応援は駄目とのこと)

ブラスOBとして、硬式野球の試合は毎試合

応援が「義務付けられていた」ものとしては、

へえーと思いましたが、こっちが普通かも。

 

(追記)

7月28日県大会決勝で勝ち、甲子園に出場出来ることになりました。

2004年以来18年振りの甲子園ですが、高三当時

春夏連続出場して51年、卒業して50年の節目。

何か嬉しい因縁の様なものを感じます。

50年前のこと、妙にはっきり思い出すのは不思議です。

 

50年前

1972年 出来事

2月 横井庄一さん 帰国

   札幌オリンピック

   ニクソン訪中

   あさま山荘

3月 山陽新幹線 岡山開業     *卒業

5月 沖縄復帰

6月 佐藤首相テレビ事件

7月 ぴあ創刊

   田中角栄内閣

9月 日中国交正常化

 

まずは以上ですが  なんとまあ..

 

出雲号の寝台に乗って50年。

気が付けば、古希も目の前です。

 

初めての東京で、東京駅に迎えに来てくれた従兄の顔と、

真っ赤な地下鉄丸の内線、これははっきり憶えています。

考えれば朝七時に東京駅に来てくれたんだなあ

 

1972年3月は新幹線が岡山まで延びた時で、

最近話題の古い時刻表復刻版が出れば買いたいです。

 

思いつくまま、また書きます。

お元気でしょうか

2010年2月頃から始まったコロナ禍

2年経っても中々収まりませんが、

お元気でしょうか

 

今年は卒業して50年になります

昔なら人生50年と言われた50年

長かったか、短かったか

 

ゆっくり話をしてみたいところですが、

今は我慢してまた元気にお会いしましょう

では